ぶろがーべーしょん

飲食業界を辞めたげるかとが自由に生きながら書くブログ。

げるかと、PCを手に入れる。

PC=ぽこ※※ではありません。

こんにちは、げるかとです。

 

先日PCを購入しました。ようやく。

学生時代に使っていたPCは2010年を最期に封印してしまったので、実に7年ぶりです。PCを買う気になったのも、買う時間ができたのも、買う資金ができたのも、すべては自由を得たおかげ。大企業の飲食店勤めの思考停止状態では、とてもじゃないけど実現できませんでした。自由はすばらしい

 

そんな過去の僕と同じような人に向けて、こたびのPC購入の経緯を記したいと思います。

 

のーとでしょ。

デスクトップPCは自由度が低すぎ。それくらいは素人でもすぐに分かります。いまどきデスクトップPC使うのってオフィスぐらいでしょうか。

言うまでもなく、あらゆるWifi環境で作業のできるノートPCを選ぶべき。

 

 

店購入でしょ。

 PCは日常雑貨と異なり、値が張るうえに、できる限り長持ちさせたい。それゆえなるべく低質な失敗はしたくないわけです。安さに魅了されて中古品をネットショップでいざ買ったものの、届いてみたら傷だらけでキーボードべたべた、みたいな。

なので、僕は迷わず店購入の道を選びました。

ところが、知識ゼロです。具体的にどこへ行けばいいのか分かりません。。。と躊躇してても仕方がないので、すぐに答えが手に入らないのなら、まず時間を手に入れましょう。そして今時分が思いつく最大限の電気屋(もとい家電量販店)へ行きましょう。

ケーズデンキヤマダ電機エディオン......etc。

 

僕は名古屋圏に住んでいるので、ひとまずLABI名古屋へ行きました。LABIヤマダ電機の都市型ブランドです。

 

この手の量販店の販売価格で納得満足できるのならそこで買えばいいです。それがいちばん手っ取り早いです。

 

一方僕は、想定よりゼロの数が多くて全く納得いきませんでした。しかも最新機種しか置いてないので選択肢極少です。帰るか。いや帰るな!

 

そこで僕はひたすら考えました。破格の値段でありながら、現物を見、状態を聞き、多くの品の中からベストなヤツをチョイスできるところ......大須だ!

やがてGoogle先生はひとつの答えを出してくれました。

けっこう安い。イオシス名古屋大須店。

iosys.co.jp

 上の文言はスマホタブレット推してますがPCもメイン商品なので安心して下さい。「けっこう安い。」の看板の店を発見して、まず目に飛び込んでくるのがノートPCだらけの棚です。中古メインの、かなりの品揃えです。Windows:Mac=6:4くらいでしょうか。メーカーも、東芝富士通NECPanasonicLenovoDELL、hp......と、ありとあらゆるメーカーが揃っています。秋葉原や大阪の日本橋にもあるみたいです。店の雰囲気良い感じです。店員さんも良い感じです。

 

 

中古再生品でしょ。

まずOSですが、普及度合や入門のしやすさから、Windowsに絞ります。Windows7はさすがに安く1万円台もちらほらあるんですが...見なかったことにしてWindows10をチョイス。7と10、言うて1万円程度の開きしかありません。

 

あとはCPU、メモリ、HDDの数値をひと通りチェックしたうえで、僕が決めたのは

HP ProBook 6560b  Core i5/ 4GB/ 250GB/ Win10

 中古再生品

 ¥27,800 (税込)

 CPUのi5、メモリの4GB、HDDの250GBはいずれも、普段使いなら十分な値。

メーカーは、世界シェアNO.1のHP。フォルムがダントツにかっこいいです。

そして特に重要なのが、この商品は中古品ではなく、初期不良などにより販売店からメーカーに返品された製品をもとに再生された、中古再生品であるということ。つまり誰かのお古ではないので安心して使えますし、新品同然にキレイです。その状態にしてこの価格、というのは非常にお得だと判断し、購入致しました。

たとえ中古品を買うにしても、自分の目で見て選べるという点は確実にメリットだと思います。

 

 

 まとめ

これまでの数年間PCと無縁の生活をしてきた人がぽっと出でPCを購入する際、

①時間をつくれ

②デスクトップPCではなくノートPC

③ネットショップではなく実店舗

④中古より中古再生品

という点がポイントです。

正解はもっと別のところにあるのかもしれないですけども、少なくとも今時点での全力を尽くしてチョイスした結果ではある。よりよいチョイスは、その積み重ねでしかないと思います。

 

さあ、我がPCをしごきまくり奉れ!

辞めても命はとられないので、我慢してる人は勇気出して辞めよう

こんにちは。げるかとです。

 

僕は、自分を犠牲にした働き方に疑問を感じ、飲食業の仕事を辞めました。

しかし同じような状況下でも、なかなか決断できずに躊躇してる人は多いと思います。

そういう人たちの背中を押すことができたらと思い、僕の置かれた状況と決断をまとめていきたいと思います。


ちなみに僕は鬱にもなってないし過労死ラインにも達してないし自殺未遂も起こしてないんで、ニュースになってるようなヒドイ例に比べれば軽いしユルしショボイんですが、大事なのは程度の大小ではありません。


24時間営業のチェーン店における1日の流れ。

【一番ひどい時の例】

4時半 起床

起きられればいいんですけどだいたい起きられません。そういう場合は店にいる引き継ぎのバイトから電話がかかってきます。

5時〜9時 A店勤務

早朝出るバイトがいないから普通にシフト。

9時〜11時 事務

バイトにLINE打ちまくってひたすらシフト表の穴調整。

11時〜14時 B店勤務

昼ピークの人数足りないから普通にシフト。

14時〜16時 事務

再びバイトにLINE打ちまくってひたすらシフトの穴調整。

16時〜17時 送迎

夜帯に出勤する留学生バイトの送迎。電車とかバスとか分からないから。

18時〜22時 C店勤務

夜帯の人数足りないから普通にシフト。

22時〜0時くらい 送迎

深夜に出勤する留学生バイトの送迎。

1時ごろ 就寝

自宅までもたずに、途中のどこかで車中泊


労働時間としてカウントされるのはあくまで店勤務していた時間に限られるので、上の例の場合、5時-24時の19時間ではなく、あくまで4+3+4の11時間。


つまり、(問題①)拘束時間が極限まで長い。にもかかわらず(問題②)給料にあまり反映されないわけです。

 

事故っちゃった。

拘束時間が長いことで、完全に睡眠不足になりました。結局まともに睡眠をとれたのはだいたい深夜の1時〜4時。しかもほぼ毎日車中泊です。風呂は日中の事務時間を削って入り、服は2〜3日着たまま。疲労がとれるわけがありません。


こんな生活が半年以上続いた結果、2016年7月、居眠り運転で路駐トラックに激突し、車は大破。

寝ぼけまなこのうえに眼鏡が吹っ飛んでしまったので、もう何が何だかわからずあーあー叫んでいたのですが、目の前の白い塊がどうやらエアバッグだと気づいてからは、一瞬にして状況が把握できました。

やべ、やっちまった。

とりあえず生きている。よかった…。



警察に連絡。ぱっと見骨折も流血もしてなかったんですが、胸部が痛かったので念のため救急車にも連絡。相手の運チャンにひたすら謝罪。ほんとすいません。幸い、運チャンは車の外にいたので、お身体に別状なし。


病院に、二つ上の上司がかけつけてくれました。二つ上の上司が。

この人がいるうちは頑張り続けよう、と本気で思いました。そのあとは知らん、と。


秋、二つ上の上司が転勤してしまいました。



馬鹿らしいと気づき始めた。

こんな生活でも、嫁さんが、僕を見放さず毎日待ち続けていてくれました。たまに「今日は送迎がないっ!」「今日は元気だから家まで辿り着けるぞっ!」って時があって、その時だけ家に帰れました。家ついたら嫁さんが料理作って待ってて、文句ひとつ言わず迎え入れてくれて…。その料理がとにかく美味い。これさえあれば生きていけるって思いました。


これさえあれば生きていける…。

僕は気づきました。別に人々は、チェーンの飲食店なんか無くても生きていけるなと。無きゃ無いで、方法はいくらでもある。食糧はコンビニにもスーパーにも農協にもある。チェーン飲食店が明日無くなったところで、どうってことない。店で食べたければ、金払って良い店に行けばよい。


無くても困らないもののために、自分を犠牲にしてまで働いて、結果たいした収入にもならない…。生産性低すぎ。


そしてもう一つ馬鹿らしいことがありました。


ひとつ上の上司が勝手に休むんですよ。週末の、全然埋まってない崩壊シフトにもかかわらず。そんな上司にはついていけません。


馬鹿らしいことに対して馬鹿らしいと気づいていき、完全にヤル気がなくなったある日、突然、もういいや、となりました。


本気で辞めたいけど辞められない人、究極手段も選択肢の一つです。

僕は究極手段をとりました。


理由は二つ。


まずひとつめ。この会社、辞めたい人が日常茶飯事的に現れてました。店長たちが立て続けに辞めたい旨を会社側に申し出ていたのですが、それがことごとく失敗に終わっていたのです。人手不足の会社は、バイトだろうが社員だろうが、1人たりとも逃しません。そのため強引に説得されるのです。この会社、正攻法では辞められない事は分かりきってました。


そしてもうひとつ。あのときの事故で死んでても、結果は同じだったなあということ。


だから、究極手段をとりました。


とにかく2週間は踏ん張る。

人手不足の深刻な会社は、あらゆる手をつくして、辞めようとする人を阻止します。なので、その会社がヤバイことに気づいたら、究極手段をとるべき。


会社より、自分の命のほうが大切です。


ただし究極手段をとる際は、必ず就業規則に目を通しておいて下さい。それを踏まえた上で、

①退職の意思表示をする

②2週間踏ん張る

ことが重要です。


僕の場合、決意した日に手製の退職届を書いて会社携帯とともに本社に送りつけ、個人携帯も買い替え、嫁さんとは口裏を合わせておき、日中は県外へ移動、深夜1時〜6時の間だけ自宅に滞在することで、2週間逃げ切りました。


一回だけ油断して夕方に自宅にいたところ、突然上司が来訪。嫁さんが対応してる隙にベランダに逃げ隠れ、息を潜めてました。嫁さんがうまくかわし、消息わかったら連絡してほしい的な感じで終わり、帰って行きました。タスカッタ…。


後日、正式なフォーマットが送られてきて記入して返送。これで退職が受理されました。


恨むなら勝手に恨め。

決断し行動すれば道は切り開かれます。ただ、

会社に恨まれるんじゃないか?

という不安が決断を鈍らせ、なかなか一歩を踏み出せないものです。


まあ恨むでしょう。確実に。

別に、恨むなら勝手に恨んでればいいんじゃないでしょうか。恨んだところで、その人たちが消耗し続けるだけなので。


その人たちに会わないようにすれば会わずに生きていけます。その会社で関わった人たちは、人間の数に比べたらたいした量ではありません。人間はたくさんいます。外に出れば一瞬で分かります。


そして1日でも早く、何者かになってしまえばいいんです。




別に無くても人々は生きていけるのに、それに気づかずに、我が社我が店が無くなると地域の人々が国民が困ってしまう、だから命をかけて働きたまえというとんでもない勘違いを未だにしているブラック企業は、そう長くはもたないでしょう。無駄なだけなんで。

そんなところで消耗せずに、もっと楽しく生きましょう。

これが私のプロフィールです。

略歴

はじめまして。

ゲルゲという変なアダ名を高校時代につけられてた、カトウナユキです。略してげるかと。女の子みたいな名前ですが、男です。

 

1983年生まれ。既婚。嫁さんとの2人暮らし。

ブラックな飲食業界で働いてましたが、家族との時間を優先させて職場を犠牲にする上司のもとで、自分の人生を犠牲にしながら仕事優先の日々を送ることに嫌気がさし、2017年2月、緻密な計画を練って脱走。僕は十分働きました。もう知らん。

 

その後は小規模なホワイト企業で委託契約を結び、今もそこで世話になってます。

 

 

 

もう少し掘り下げたプロフィール

①昆虫少年だった。

僕は東京の多摩で育ちました。
83年生まれなので、ちょうど多摩ニュータウンができて京王線が通った頃です。

当時の多摩界隈には自然がそこそこ残っていました。街遊びが嫌いだったんで、ひたすら昆虫採集してました。田んぼでヤゴ採ったり。裏山でカブトムシ採ったり。河川敷でカマキリ採ったり。ゲームやケータイやパソコンとは無縁の生活。

 

②高校でしくじった。

高校はトップ校。部活は生物部。
チョウチョですげーヤツとかキノコですげーヤツとか、他校のすげーヤツとか、いろいろ知り合いました。

もちろん僕も生物系で力伸ばしたかったんですが、しくじりました。クラスで目をつけられ、変なアダ名をつけられ、人気者(いやむしろ生け贄)に。芸人でも芸人志望でもないのに、ひたすら笑いのネタを要求される日々。

〇〇さん!きのうオ〇ズにしました…って完全セクハラっす。

 

 おかげで既成観念を壊す力はついたのですが、肝心の勉強はほぼほぼやらず、すでに手遅れ状態。

一浪して代ゼミ通いまくって挽回。

 

 志望校は直感で絞りました。
大学でひたすらやりたかったのは生物観察。東京近隣で最適なのは、山岳がダントツに多い長野県。そこにある国立大は信州大。そして室内実験の多い生物学科ではなく、野外実習ベースの環境系の学科をチョイス。偏差値的に余裕で合格。

 

③就活もしくじった。

大学時代は登山とバイトをしまくる日々。

学科の実習だけではとうてい物足りなかったので、毎週末、単独で山に行ってはセルフ実習してました。

対象は植物(植生)とチョウチョ。春は雪融け直後の里山、夏秋は北アルプス…てなサイクル。夏休みには2週間かけて稜線を縦走したり。冬は寒いのでバイトに精を出してました。

結果、登山技術と生物観察力はめちゃくちゃ身についたのですが…その後僕は大きな失敗を二つします。

 

まず、調子に乗って大学院へ行きました。

そして修士1年の夏、アイドルにハマってしまいました。

 

 そうです。僕は高校時代にゲルゲ調教を受けました。そのせいで、フツーに暮らすことができない体になってしまっていたのです。それを模索した大学時代。結果、信州の田舎にいながら東京のアイドルにハマってしまった童貞大学院生、という存在にいきついたわけです。案の定、特別な存在(いやキモイヤツ)として大学のみんなから崇め奉られ(距離を置かれ)ました。

 

もはや手遅れ状態。

就活?なにそれ?東京行けるの?よし秋葉原へ行こう!

こうして僕の就活はオワリました。

 

④飲食店のワンオペを極めた。

2010年3月、修士課程修了。とりあえず食いつなぐため、飲食店でのバイトを始めました。大手チェーンの牛丼屋さんです。まだ3社間で値下げ競争とかやってた頃。

 

とにかくがむしゃらに働きました。2ヶ月程度で深夜早朝のワンオペを任され、2年目で深夜帯責任者になり、3年目に県の南半分の8店舗のヘルプ専属になり、4年目に長野県最南の店のチーフに。そして5年目にマネージャーに昇格。

 

就活なんかしなくても社員になれる、と確信しました。僕の場合、意識低かったので4年もフリーターやってましたが、縮めようと思えば、2年程度でなれます。それに、フリーター期間は一般的初任給の1.5倍くらいは余裕で稼げてたので損はしてません。

 

この手の仕事は、慢性的な人員不足に陥っているので、社員の仕事はほとんど穴埋め。

人数そろいそうな時間帯にはしっかりバイト集めて、どうにもならん時間帯に自分が入る。この繰り返し。

 

ここで重要なのが自分のオペレーション能力。例えば本来3人必要な時間帯を自分1人だけで回す。これが普通に起こります。つまりワンオペ上級編。これができないと、社員として使い物になりません。

 

ちなみに深夜のワンオペが話題になりましたが、深夜はお客さん自体少ないので、余裕です。文句言うヤツは仕事できないかサボりたいだけ。

 

社員3年目の頃は、店員5〜6人必要な店でも容赦なくワンオペしてました。

 ただし、それはべつに苦ではなかったんです。

 

むしろ、慢性的な人員不足に由来する、度を超えた自己犠牲と、自己犠牲こそが正義というような空気。これが大嫌いでした。

サビ残なんて当たり前。睡眠不足。居眠り運転して事故って、車が大破。祖父の法事に行けず。給料のほとんどが移動費で消えてしまい、毎月破産。仕事できないバイトほど態度デカい。エヴリデイ車中泊…。

そこから来るストレスが徐々に蓄積し……

とうとう、ううわあああぁぁぁーーーしちゃいました。

 

 

 

 

⑤ 2016年5月、童貞喪失‼︎‼︎

 

 

おしまい。